運営者プロフィール

運営者のナカジマです。プロフィールのご参照をいただき、ありがとうございます。

Personal Data
  • 名前:ナカジマ
  • 生まれた年:昭和41年(1966年)
  • 出生地:東京都
  • 最終学歴:情報処理の専門学校を卒業
Brief work history
  • 地方自治体向けパッケージシステムの設計・開発【COBOL】… 4年
  • 財務会計システムの設計・開発【COBOL】… 1年
  • 社内インフラ担当(パソコンやネットワークのセットアップ)… 3年
  • 社内システムの設計・開発【Lotus Notes、VBA】… 4年
  • ウェブサイトの制作【HTML、CSS、JavaScript、WordPressテーマ開発】… 20年~、現在継続中
  • ウェブシステムの設計・開発【Perl、PHP、CakePHP、Laravel】… 20年~、現在継続中
STEP
学生時代 … 大学入試には失敗したが、結果的に良かったと思う

小・中学生の頃から電子工作をしたり、アマチュア無線の免許を取ったりと、電気・電子系への興味があって「将来そういう仕事をしたいな」と漠然と思っていたのだが、高校入学の頃に「パソコン」なるものが発売されて、その面白さに取り憑かれた。それが一生の仕事になったわけだ。

初めて買ってもらったのが、シャープの「MZ-80K2E」というパソコン。その後、アルバイトをしてNECの「PC-8001シリーズ」を購入した(正確な型番は覚えていない)。

雑誌に掲載されているゲームプログラムを手で打ち込んで遊んでいた。今では考えられないと思うが、当時はパソコン雑誌にゲームプログラムのソースコードが掲載されていて、BASIC言語や16進で表記されたマシン語を手入力して遊んだものだ。手入力だから、ちょっと入力を間違えるとエラーが出て動かなかった。

一応、理系大学志望だったけど、入試に失敗して情報処理の専門学校に進んだ。親から「留年禁止」と言われていたのだ。でも、振り返ってみると、大学に行くことができず、専門学校でプログラミングの勉強をすることになったのは「それで良かったんだなぁ。」と思う。

STEP
職業人生【前期】 … 昭和の時代の働き方。残業時間の最高記録を出す。

専門学校を卒業して初めて入社した会社は、いわゆるソフトウェアの開発会社だった。そこで「COBOL」というプログラミング言語で、地方自治体向けパッケージのうち「収納管理」というシステム(税金などの入金や滞納を管理するシステム)の設計・開発をしたり、財務会計システムの設計・開発をした。

当時は昭和の後期で、「働き方改革」などという言葉や概念が全く無い時代だったから、覚悟はしていたものの、なかなか激しい労働環境だった。これまでの職業人生の中で「200時間超」という残業時間の最高記録を出したのも、この頃だ。

STEP
職業人生【中期①】 … 転職1回。インターネットの仕事に志願。

「都会で一人暮らしをしたい」という思いがあったので、都心の会社に転職して、一人暮らしを開始。

転職先はソフトウェア開発会社ではなく、誰でも知っている業界の中堅企業で、そこの電算部員・社内SEとして働いた。

そこでの最初の仕事は「コンピュータの何でも屋」という感じだった。パソコンに何かトラブルがあれば行って対応し、新しいパソコンを買ったらセットアップし、ネットワークの面倒も見て、各部門の業務改善システムの導入もして、、、という感じで、忙しかったが充実していた。

深夜に及ぶ残業や徹夜もそこそこあったが、そんなに「苦」にしていなかった。転職後、数年して結婚し、子供も生まれたから、まぁ「頑張ることが出来た」のだと思う。

30歳代前半の頃「インターネット」というものが世に知られ始める。『これは面白い。これは凄いことになる。』と直感し、『インターネットの仕事がしたい。インターネットを勉強したい。』と会社に直訴。ありがたいことに、そちらの仕事をさせてくれることになり、ホームページの作り方や「Perl」という当時のネット向けのプログラミング言語の勉強をしつつ、会社のウェブサイト立ち上げや保守等を担当。この仕事が現在にもつながっている。

STEP
職業人生【中期②】… 「プレイングマネージャー」という地獄。

業界の再編とかで吸収・合併を数回経験するなど、ちょっとした波乱があったが、何とかクビを切られずに乗り越えてきた。自分で言うのも何だが、プログラミングの能力については頭一つ抜けていたから、会社からは結構重宝されてきた自覚がある。ウェブ系の仕事の受注が絶えることは無かったし、仕事のジャンルとして将来性もある、と判断されていたこともあると思う。

何度かの吸収合併の結果、とある上場会社のグループ企業のシステム会社の社員となり、以来、グループ各社のウェブサイトの制作、ウェブシステムの開発を中心に、グループ外企業からの仕事にも対応する、という働き方をしている。

私の60%は「グループ内SE」という感じです。

軽い地獄も経験した。「プレイングマネージャー」という立ち位置だ。「プレイングマネージャー」は、プログラム開発等の現場の仕事もしつつ、お客様との調整、部下のマネジメント、部下の評価、、、等のマネジメントの仕事もする、という立場だ。

私は、この立場が凄く嫌で、苦痛を感じていた。特に嫌だったのが「部下の評価」だ。「人が人を公正に評価するなんて、できるのか?」という疑問があったし、部下の給料などが私の評価で左右されてしまう・・・そんなプレッシャーに苛まれた。

それで心身を壊して、約1ヶ月間、仕事を休むことになった。診断としては「うつ病」だった。幸い1ヶ月の休養で復帰することができたが、もう「プレイングマネージャー」は嫌だった。会社に言って、マネジメントの仕事からは外してもらい、「平社員」にしてもらった。

「プレイングマネージャー」って、『なんて都合の良い言葉だ』と思いますよ。本当に。

STEP
職業人生【後期】 … システムの設計とプログラム開発は楽しい。

「平社員」にしてもらって以降、現在に至るまで「平社員」だ。そして、主にウェブ系システムの設計と開発を行っている。プログラムもバリバリ書いていて、それが楽しい。

そう遠くなく還暦を迎えるが、できる限り、IT業界で、特にウェブ系の仕事をしていきたいと考えている。

振り返ってみると、パソコンが出始めた頃にパソコンに興味を持ったり、インターネットが出始めた頃に『インターネットの仕事をさせてくれ』と会社に直訴したり、上には書いてないけど「WordPress」に初期の頃から興味を持ってみたり、、、など『とても運が良かった。ラッキーだった。』と感謝しています。